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東京高等裁判所 昭和45年(ネ)852号 判決 1971年12月09日

控訴人 高田求

右訴訟代理人弁護士 上田誠吉

<ほか一七名>

被控訴人 国

右代表者法務大臣 前尾繁三郎

右指定代理人 朝山崇

<ほか四名>

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し金一〇〇万円およびこれに対する昭和四一年一二月一〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決及び予備的に担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用、認否は、原判決二枚目裏六行目に「甲号各証の成立は認める」とある部分は「甲第二四ないし同第二六号証は原本の存在及び成立を認め、その余の甲号各証の成立は認める」の誤記と認め、訂正するほか原判決事実欄記載のとおりであるからこれを引用する。

理由

一、原判決二枚目裏八行目から同三枚目表六行目までをここに引用する。

二、昭和二七年五月一日皇居前広場においてメーデーに参加した多数のデモ隊と警戒の警察官とが衝突して乱闘し、多数の負傷者を出した、いわゆるメーデー事件が発生したことは、本件口頭弁論の全趣旨により明かである。

三、控訴人に対する捜査の経過および事件前後の控訴人の行動について。

(1)  ≪証拠省略≫によれば次の各事実が認められる。

(イ)右メーデー事件で負傷した多数の者が、港区芝田村町五丁目一〇番地の六所在慈恵医大東京病院において治療を受けた。メーデー事件の捜査担当の杉並警察署警察官は、昭和二七年五月六日頃右東京病院外科外来において訴外高田登が同月一日に負傷者の一人として手当てを受けたことを知り、同人の身辺を捜査するうちに、同人の兄であり、且つその頃同人と同居していた控訴人が活溌な学生活動家であり、同事件に参加し負傷した旨聞込みを得たので、メーデー事件の被疑者として同人に対しても捜査を開始し、東京地方裁判所裁判官の逮捕状を得て、同月八日控訴人を逮捕した。(ロ)控訴人は逮捕と共に、杉並警察署に留置され、ついで同月一一日築地警察署に留置されたが、同署の留置場に入房の際同署警察官が所持品である眼鏡を預るため提出を求めたのに対し、控訴人は「皇居前で眼鏡をこわされたから、この眼鏡を八〇〇円で買ったばかりだ。眼鏡を君達に預けるとこわされる。預けることは反対である。」と言った。(ハ)控訴人は同年三月三一日東京大学文学部を退学し、同年四月初め頃から仲間の男女数名の学生と共に都下西多摩郡檜原村を度々訪れ、同村下元郷五二六四小泉角蔵方に宿泊させて貰って「工作」と称する思想上の宣伝活動をしていたが、同年五月一日のメーデーに行くと言って、当日朝同所を去った。

控訴人は同月三、四日頃再び同家を訪れ、家人に対し、「メーデーがあれ程ひどくなるとは思わなかった、あの騒ぎで弟は宮城前広場で警官になぐられてけがをし、自分はそこで迯げるとき眼鏡を落し、新たに眼鏡を八〇〇円で買った」という趣旨の話を聞かせた。同家の家人がみると、控訴人は以前と異る眼鏡をかけていた。同月五月一日の前後において控訴人は下宿先の杉並区阿佐ヶ谷二丁目六八二番地保里義一方にもいなかった。(ニ)同年五月一日杉並区阿佐ヶ谷一丁目八五一番地眼鏡商小森谷勝久方で来店の客に眼鏡を代金八〇〇円で売った。(ホ)以上(ロ)(ハ)(ニ)の各事実は、いずれも起訴までの間に、捜査の結果判明したものである。

右認定に牴触する証拠はない。

(2)  成立に争いのない乙第一七号証(証人下川英雄公判調書)によると、訴外下川英雄は本件刑事事件の公判期日において証人として供述した際に、同人が証人として法廷に出るようになったいきさつについて尋ねられたのに対し、学生時代の友人でメーデー事件の被告になっている控訴人から「あの時確か見かけたから出てくれないか」といわれ「知っていることなら無論話しましょう」と承諾し出廷するようになった、との証言をした。成立に争いのない甲第二三号証(控訴人に対する刑事事件の判決)によると「下川証人は、昭和二七年五月一日東大文学部の学生の一団に加わって馬場先門より皇居前広場に入り順次二重橋附近、日比谷濠の土手、楠公銅像島に移動し、それから第二次大衝突といわれる騒ぎに巻き込まれ、催涙ガスに遭い逃げ出し、二重橋と反対方向の祝田橋近くの土手の内側近くまで行き、そこから広場の東南隅にある休憩設備の中庭に入ったが、警官隊に追われ、祝田橋方向に逃げ、更に和田倉門方面に行き最後にそこから出た旨供述し、その行動と経路と時期は、検察官が本件において騒擾と主張する時期、場所の大半に及んでいる。」(要旨のみを引用した)というのであって、前掲乙第一七号証によると、同証人が控訴人から「あの時確か見かけたから出てくれないか」といわれた「あの時見かけた」というのは、同証人が、メーデー事件の騒動の渦中において右のように行動していた際に、控訴人が事件現場において同証人を見かけた、という趣旨のものであることが明かである。

四、控訴人に対する逮捕、勾留、公訴の提起、その維持に関する違法性の有無について。

(1)  右逮捕、勾留、公訴の提起、その維持について、控訴人は後記(2)および(3)において判断する点以外に、その各手続の上において瑕疵があったことを主張せず、またそのような手続上の瑕疵があったことは、本件の全証拠によるもこれを認めることができない。

(2)  控訴人は、右逮捕、勾留、公訴の提起、その維持は、担当の警察官および検察官が、その被疑事実および公訴事実とする刑法第一〇六条第二号所定の率先助勢の罪につき、控訴人が罪を犯したと疑うに足りる相当な理由のないこと、もしくは公訴事実について有罪の判決が考えられる合理的な根拠のないことを、それぞれ知りながら敢えてこれを行った、との趣旨の主張をするが、右警察官もしくは検察官にかかる故意があった事実を証すべき資料はない。

(3)  逮捕、勾留は、被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があること、公訴の提起・維持は、公訴事実について有罪判決をえられる合理的な根拠があることを要するのはもとよりであるが、その刑事判決により、結果において証拠不十分の理由で、無罪になったというだけで、ただちに右各措置の違法をいうことはできないのであって、警察官もしくは検察官がその際に犯罪事実の存在についてした証拠上の判断に重大な過誤があり、その判断が常識上到底首肯しえない程度に合理性を欠いている場合にはじめて、右逮捕以下の各措置は、国家賠償法第一条所定の賠償責任発生の要件としての違法性を帯びるに至るものと解すべきである。本件において、前記三の(1)の(ロ)(ハ)(ニ)および同(2)の各事実によると、控訴人がメーデー事件の当日のすくなくとも事件の最中のある時点において事件現場の皇居前広場に居た事実およびその際にかけていた眼鏡が壊れて使用できなくなった事実を確認するに十分である。ただ、その際に控訴人がとった行動について、すなわち控訴人が、騒擾の現場において「他人に率先して勢を助け」(逮捕状請求の被疑事実)、「他人に率先して勢を助け且つ多衆と共謀して警察職員の公務の執行を妨害し」(勾留請求の被疑事実)、「同日午后二時三〇分頃馬場先門より皇居外苑広場に突入した暴徒の一団に加わり、その先頭に立って二重橋前附近に殺到した上、同所においてこれを解散させようとした警察職員に殴りかかるなどの暴行をなし、もって他人に率先してその勢を助け」(起訴事実)たなどの事実があった点については、これを直接に証明するに足る資料がない。控訴人は起訴に至るまで黙して語らず、事実を肯定も否定もしていない(≪証拠判断省略≫)のであるが、前記二および三において認定した各事実を綜合すると、控訴人がその際に、目の前にくりひろげられている騒動を袖手傍観していたとは到底考えられず、なんらか積極的な行動に出でたであろうと推測するに難くない。以上のように考察してくると、警察官および検察官が控訴人を逮捕、勾留し、起訴し、これを維持するについて、その犯罪事実の存在を積極に判断した点において、国家賠償法による賠償責任発生の要件となる程度の違法原因はなかったと認めるのが相当である。

五、控訴人は、控訴人の逮捕およびこれにつづく拘禁中に、国又は東京都の公務員である訴追官憲が控訴人に対し暴行を加えたと主張するが、甲第二四号証の記載内容のうち、この点に関する部分は採用しえず、他にかかる事実を認めるに足りる証拠はないから、控訴人の右主張は採用することができない。

六、よって控訴人の被控訴人に対する本訴請求は理由がなく、棄却すべきものであり、同一結論に出た原判決は正当であって、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松永信和 裁判官 長利正己 小木曽競)

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